うめのこと

[2017年02月15日]

こんにちは院長の高橋多樹です。

うめがいなくなり3週間が経ちました。

毎日色々なことを考えます。

最後を看取ってあげられたという満足感のようなものであったり

もっとしてあげられることがあったのではないかという後悔や自責・・

わかってはいましたが

乗り越えていくのは容易ではないようです・・

 

 

うめの様子が変わりはじめたのは11月の下旬のことでした

ご飯を食べた後、水を飲んだ後、抱っこして移動した後、

明らかに呼吸が苦しそうでパクパクと口を開けて呼吸をするようになりました。

「変性性脊髄症の子がの息が苦しくなる」

これは死が目前に迫っているということを意味しています。

(一般的には1ヶ月以内と言われています)

 

ショックでした。

信じたくありませんでした。

うめのいない日々・・・

想像もできませんでした。

うめがいつか死んでしまうという事はわかっていたつもりだったのですが、

結局僕はうめの死に対して何の覚悟もできていなかったのです。

 

幸い酸素吸入の開始とともに呼吸は小康状態を保っていたのですが、

時間とともに少しずつ食事の量が減っていきました。

うめは食べることが大好きで何でも食べる子でした。

本当にうめは死んでしまうんだな・・・

そう実感せざるを得ませんでした。

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酸素濃縮器。うめの命を繋ぎ止めてくれました。

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酸素吸入の様子。寝顔を見ていると安心でした。

 

僕らの予想に反し

うめは一般的な余命である1ヶ月を越えても

生き続けてくれました。

しかし呼吸状態は少しずつ悪くなり、

食欲も更になくなっていきました。

 

1月19日からは全く食事を受け付けなくなりました。

食べることは生きること

きっとうめは「もう生きられない」と言っているのだと思いました。

本当に本当にもうお別れなんだ・・・

 

1月23日

うめの意識は朝から朦朧としていました。

直感的に今日が最後なのだろうと感じました。

病院での仕事が滞りなく終わり

自宅に戻った直後うめは息を引き取りました。

うめは病院よりも家が好きな子でした。

家に帰るまでがんばったのだと思います。

 

 

うめは立派な子です。

病気で思うように体が動かせず、

つらかっただろうに、苦しかったろうに

不満も愚痴も言わずに

ただただ自分の命が燃え尽きるまで

懸命に生き抜いたのだと思います。

 

 

うめがいた12年と8か月。本当に楽しかった。

うめと出会えて僕は本当に幸せでした。

でも、もっと一緒にいたかった・・・・

 

まだ悲しみは完全には癒えません。

とても辛くなる瞬間もあります。

でもきっといつかうめとの楽しかった幸せだった日々の思い出だけが

残っていくのだと思います。

またうめと再会できる日を心待ちにして、

僕は残された自分の日々を

うめに恥ずかしくないように可能な限り懸命に生き抜こうと思います。

 

 

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1月18日。僕の誕生日です。

一緒に過ごせるとは思っていませんでした。